1.多極真空管の発明について


  科学史上,エレクトロニクスの心臓部としての電子管は,1883年にトーマス・A・エジソン(米)が,いわゆるエジソン効果と呼ばれる白熱フィラメントより他の電極へ一方向のみ電流が通ずる現象を発見したことにその源を発します。その後,1904年にはフレミング(英)が熱陰極と陽極を封入した二極真空管を発明,続いて1907年,ド・フォレ(米)はこの二極の他に「グリッド」という第三極を挿入することを工夫していわゆる三極真空管を発明しました。ここで真空管は,増幅機能のある形態を備えるに至り,この発明が無線電信,電話,放送等弱電工業の発達のきっかけとなりました。しかし,この三極真空管においては,グリッドの制御電極の電子流制御作用に限度があり,電波に対する感度も良好でなく,増幅率も低かったので,原始的で単純な無線通信以外には使用できませんでした。
  この様な状況の中で,安藤博は大正初年,明治学院中学に入学した頃より,マルコーニの火花方式による無線の実験を重ねていましたが,これには限界が見えていることを感じ,エジソン,フレミング,ド・フォレの発明に注目し,新しい電子管の発明は将来電波科学の分野に革命的進歩を及ぼすことを確信して,自らが真空管のガラス細工に習熟し,またドイツ・レイボルド社より当時最も性能のすぐれていたゲーデのモレキュラーポンプを取り寄せて真摯な実験研究を続けました。その結果,大正8年1月,研究開始以来6ヵ年の苦心がみのり,遂に「多極真空管」の発明を完成させました。この多極真空管は,真空管内に配置させた補助電極により,従来の三極管では避けることのできなかった制御電極と陽極との間の静電容量を除去することができ,動作の不安定,自己発振,動作不能を避け,しかも増幅率及び管球のエネルギー増大のメリットが三極管に比べて100倍〜1,000倍も良好になったもので,この発明によって利用可能な電波の範囲が画期的に拡大され,マイクロウェーブ通信,テレビジョン,レーダー等が実用化されることになりました。

多極真空管試作品
  ところで,多極真空管の中で代表的な「4極真空管」には,動作電圧の印加方法が2つあります。
  1つは外側の格子に+の電圧を加え,内側の格子に信号を加えて制御する方法です。
この方法により外側の+電圧を加えた格子によって,内側の制御格子(グリッド)との間に生じる静電容量を除去(遮蔽)することができます。この結果,高周波での不要な発振が起きないようになります。この動作による4極真空管では,3極真空管と比較して陽極の電圧変動に対しても陽極電流があまり変化しなくなりました。これが大きな特徴となります。この+電圧格子は「遮蔽格子(スクリーン・グリッド)」といいます。
  もう1つは内側の格子に+の電圧を加え,外側の格子に信号を加えて制御する方法です。この方法は,内側の格子によって陰極近くの空間に生じる電荷を中和する事ができます。この+格子電圧により,電子が加速されます。この動作による4極真空管では,同じ陽極電圧で3極真空管より増幅率が大きくなり,オーディオ回路に適し,低い陽極電圧で動作出来るという特徴があります。これらの開発は,真空管の発達の上で重要な技術となりました。
  この様に,4極真空管には2つの動作条件がありますが,安藤博は,この2つの動作が出来ることを発見し,2つの特許,すなわち特許第80948号と特許第87348号を取得しました。
特許第87348号 特許第80948号